


取材で、ドイツやイタリアといったヨーロッパの家具見本市にたびたび出かける。その度にヨーロッパ家具の大胆なデザインと大きさ、存在感のボリュームに驚いてしまう。それが単純に人体や住まいの大きさに比例したものではない、と気づいたのは最近のことである。
そんな取材のさなか、イタリアの家具や建材のビジネスに長く関わる女性が、こう告白したことがある。「イタリアの家具を提案する身ですが、アートのような美しさに敬服しながらも、どこか骨っぽくて日本の生活にはなじまない気がする。そう思う自分もいるんです」。私は思わず、深くうなずいた。
ヨーロッパの住まいは、天井が高く石づくりの、まさに何もないガランとした「空間」で、建物自体がとても頑丈。何百年も壊されることはなく、時を経るほど、空間は重みを含んで存在感を増す。だからこそ家具を入れて、強いデザインの力で空間とバランスをとらなければならない。欧米でインテリアデコレーションという考え方が発達したのも、それゆえなのかもしれない。
一方、日本の家というのはそれ自体が家具のようなものだとつくづく思う。「押し入れ」は住まいと一体になった完璧な収納家具であり、雨戸に窓に、障子や襖、木や紙の建具が幾重にも暮らしを包み、光や気温の調節は自在だ。縁側というテラスがあり、縁の下は通気を保って家を湿気から守った。そんな機能は肌感覚でなじみ、暮らしに密着する。日本の家はそれ自体がすぐれたデザインプロダクツであり、余計な家具はいらなかった。
厚みのある石によるゴツリとした、欧州の骨太の空間。それに対し、木の柱や梁に繊細に編まれて、そこに滑らかな肌を持つ日本の家。実はそこに強いデザインはいらないのかもしれない。けれどもデザインブームといった流行も起こるほどの今の日本。すでに完成度の高い住文化を持っていた私たちが、そこからあえて脱しながら、行き着く先はどこなのだろうか。それでも残る―そんなものをここでは見つめていきたいと思う。


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