


築70年は経とうかという古い家が私の実家。その台所を改修しようとしても、似合うキッチンがない。そんなお話の後編。
古い古い台所は、床壁も傷んでいるので、空間を丸ごとつくり変える工事が必須のように思えた。そこで家族で目をむけたのが「家づくり工務店」だった。家づくり工務店とは、パワビルダーのように作り手に都合のいい家を早く、安く建てるのではなく、住み手の暮らしにあった家を、納得のゆく素材で相談しながらつくってくれる。最近、全国的に知られるようになった暮らし密着型の工務店だ。わたしたちも雑誌広告で、地元の木をつかって家づくりをしている工務店を見つけたのだった。
どこにでもある日本の台所だった。
早速、モデルハウスに出かけたところ、母が声を上げた。「これならきっとなじむ」。そのモデルハウスのキッチンは、ごくごく簡素なものだった。直線的なスギのキャビネットにステンレスのワークトップ。それだけである。ワークトップからシンクまではひとつながりになっていて、ごく普通の長方形で変な段差もなく、ストンと落ちる。妙なくびれも曲線もない。
なじむ―つまりはそれが大切なのだった。時を経た家、古びた素材、それに染まった空気。本物の素材にはそれを受け止める力があった。
私たちは、そこに依頼を決めた.台所だった部屋を取り壊し、増改築に近い形での改修を進めた。
改修後の台所。壁側にキッチンを寄せ、緑の見える窓を大きくした。
完成したキッチンは、やはり杉の木でできた箱とシンプルなステンレス。それが古い家になじむキッチンの答えだったのである。割れや反りが心配。お手入れはどうなるの?と日本のメーカーにはきっとできないキッチンだろう。70年という時と、生まれたてのキッチンがぴったりとなじんだ。この点に今回の改修の大きな意味がある。
母はこのキッチンを大切に使う。一日の終わりにはシンクの内側まで磨きあげる。ステンレスのゴミカゴまでさっぱりと洗う。かたく絞った雑巾で、無垢板を拭く。もちろんものや調味料が置かれはじめ、キッチンは雑然とし始めている。けれども、きちんと手入れをするだけで、キッチンは凛と清潔に輝く。
日本のシステムキッチンの行き過ぎた機能は、私たちの暮らしから素材への感性、暮らしの知恵を奪ってしまう。これは何もメーカーの責任だけではない。家事を放棄した日本の暮らしのせいでもある。ショールームに来る客、来る客、口々に「これは汚れないの」「掃除はしやすいの」「もっと便利にならないの」と言い続ければ、日本の優秀なメーカーは変わらざるを得ないだろう。かつては素材の性質を読んで、人の方が工夫していたおつきあいの仕方やお手入れ、掃除の知恵は忘れられ、人の都合にあわせて新素材が開発される。もちろん歓迎すべき点はあるが、行き過ぎれば人の感性をにぶらせてしまう。
古くならないものはない。時を経て、変わらないものはない。そんなあたり前の事実を知らず知らずのうちに、受け入れられなくなっている。それは家づくりの現場にも忍びよっている。
本当に長く使えるものは、やはり本当のものしかない。それは単純なお手入れではなく、おつきあいという発想で使い続けることで、私たちの暮らしの中で生き続けるのだろう。
photo=Tomoko Kudoh


Copyright(c)2006 New Constructor's Network. All rights reserved.