


先日、久しぶりに夜行列車に乗る機会に恵まれた。上野から札幌までを走る「北斗星」である。車両は1970年代に製造されたのだろうか? 1975年の鉄道友の会の受賞マークがついている。
「デュエット」という2人用の個室に泊まったのだが、これがよくできている。
何の変哲もないぱりっとした白いシーツ。硬めで特にデザインのない(へんな人間工学的な曲線や、まがい物の装飾などがない)イス兼ベッド。背には腕掛けが収納でき、懐かしいような白いカバーがかかっている。ステンレスや樹脂でつくられた空調や音楽用の調整ツマミに照明のスイッチ。小さいのにしっかりつくられている。
共用部の洗面台には石けん受けに小さな石けん。スチールのスタンドに厚みのある青いプラスチックのコップが、ささっている。今どき、使う人は少なそうだが、紙コップやハンドソープのような使い捨てではない、確かな感じがある。
最新型車両のような「走るホテル」の豪華さはない。けれどもしつらえの一つ一が無骨で素朴。だからこそ、数十年も毎日走り続けて来たのを感じるのである。これは普通の座席では気づかなかったことだろう。
生活雑貨の世界で業務用がはやったことがある。キッチンでも厨房道具でも、リネンでも「業務用」「ホテル仕様」と銘打てば売れ、シンプルで機能に徹したものがもてはやされ、暮らし上手の象徴になった。
しかし実際のところ、家庭生活の繊細さに業務用のタフな仕様は時に難しい。業務用厨房を改造した家庭用キッチンを何度か見たことがあるが、毎日のお弁当やおかずづくりには、明らかにオーバースペックである。ホテル用のタオルは頑丈で厚く、家庭の洗濯機を埋めつくす。ステンレスの水差しもトレーも毎日使うには重い。質素なデザインも最初はいいが、いずれ潤いが欲しくなる。人々はそんなことに気づき始めて、いつしか「業務用信仰」ブームは鳴りを潜めた。
そんなブームの後、ひさしぶりに「業務用空間」に落ち着きを感じたのが不思議だった。最近の列車に多い、近未来的なプロダクトデザインは、気分を高揚させるが、その分、やすらぎ感も少ないのかもしれない。新幹線や新型特急など、多忙な人々の急ぎの足としてはイケイケのデザインもふさわしいが、夜行列車にはこんな業務用的な「野暮」も悪くない。今どき16時間も掛けて東京、札幌を往復するビジネスマンはいないのだから、北斗星に乗る人は、なんらかの「ゆとり」を求めているはずだ。
住まいも同じことかもしれない。長距離列車に人生というレールを走り続ける住まいをたとえれば、本当に必要なのは、無駄がなく丈夫で、変わらない、業務用的な器だ。それを見据えてつくられたのか。北斗星の車両の素朴な仕様から伝わる、作り手の気骨のようなもの。これは、残念だけれど今の量産住宅にはなかなか感じられないことである。
落ち着きとやすらぎは、変わらないベーシックさから得られる。北斗星の無口な空間からは、そんなことを改めて感じたのだった。


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