


広々とした大きな空間と、小さく仕切られた狭い空間。さて、どちらがお好みでしょうか。おそらく人気があるのは、前者でしょう。でも、私はこぢんまりした後者の空間に好感を抱いています。
それというのも、感覚的に狭く感じる空間には、ぷっと張ったような緊迫感があるからです。三間四方の能舞台も、演劇の舞台としては極端に狭い。けれどその制約があるからこそ、ある深みに誘い込まれるように感じます。
これと似たような意味合いで、着物も大変魅力的な衣裳だと思います。大股で歩けない、大きな袖が腕の動きをさまたげる。まるで制約のための衣裳のようです。そもそも平面的な布で、丸い身体を包むのですから、着付けからして難度が高い。着やすく改良されてもよさそうなものですが、そこが日本人のおもしろいところで、着付け自体を楽しんでしまう。事実、自分の体型に合わせて衿の合わせ方や抜き加減、帯の締め具合、裾のまとめ方などをきめ細かく調整できて、工夫のしどころが多い。着物は、個性を表現する楽しみにあふれています。

それに袖(そで)という存在が大変面白い。手を遠くに伸ばそうとすると袂(たもと)に手を添えなくてはなりませんが、その仕草はなかなか趣があります。また、手先を袖に入れて隠してみたり、はたまた、はしゃいで袖を揺らしてみたり。このふわりと垂れ下がった袖が、和装ならではの美しい所作を導き出し、言葉や表情で伝えきれない微細な「情」を仕草として見事に表現してくれます。
ところで、歌舞伎では舞台上で登場人物がよく着替えをします。普段着の着物を脱いで裃(かみしも)を着用したり、浴衣に着替えたり。さすが歌舞伎俳優さんは着物に馴染んでいて、手慣れた動作が鮮やかです。何気ない着物の着替えですら一種の芸のようですから、少し前の日本では、生活風俗自体が美しい芸の塊だったのかもしれません。

制約という切り口で日本文化をみわたすと、さまざまな発見があります。開明な場ではなく、堅牢な箱の中に、ミソはつまっているのかもしれません。
文月



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