


今年の夏は、雨の日が多かったように感じます。災害をもたらす豪雨は困りものですが、雨天の家ごもりは、なかなかよいものです。一戸建てに住んでいると、雨が屋根をたたく音や、風が窓を揺らす音、猛々しい雷鳴も直に伝わってくるので、改めて自然のなかで生きていることを実感できます。そしてなぜか、雨の夜は深く眠れるような気がします。
木の家のよさを上げはじめると枚挙にいとまがありませんが、ひとつ取り出して言うとすれば「音」の環境のよさがあげられます。ノブ式のドアを閉めるカチャリという金属音よりも、木製のふすまを引くシュッという、少しかすれた音のほうが耳に心地よい。和室の入室、退室にはお作法がありますが、単なる部屋の出入りにまで美しさを求めるのも、日本人ならではの細やかな美意識といえます。話が少しそれてしまいましたが、障子や畳、不思議な年輪の模様をもつ天井板など、自然素材に囲まれていると、たとえ無音であっても、包まれるようなあったか味、そしてなにかの存在が感じられます。
音といえば、あるご縁から近所でお三味線を教えていただいていたのですが、この楽器からは実に多くのことを学びました。三味線には、ビイ〜ンという雑音が混ざるように、しかけが施されています。「さわりをつける」と言うのですが、澄んだ音では、だめなのです。尺八や篠笛など、日本の笛も同様で、フルートのように清らかさを求める方向ではなく、ざらりとした自然音に近づこうという姿勢があります。日本と西洋では、音の理想が大きく異なっていることにとても驚きました。
お能の謡(うたい)の発声も、おそらく西洋の声楽とは考え方が大きく異なっています。天に向かうような西洋の声に対し、謡は地の方向に圧力をかけるような意識があります。そして、お能をとりまく能管という笛、小鼓、大鼓、太鼓の旋律は、とても抽象的です。慣れるまでは、面白みのない音に聞こえるかもしれませんが、固有のイメージがない分、聞き手にゆだねられる面も多く、それゆえお能の深い世界に心酔できるのだと思います。
さて、再び我が家です。ここは下町とはいえ都心ですから、やはりカエルやヒグラシの声は聞こえません。以前暮らした京都は、自然も豊かで今思えばとてもバランスのよい都でした。というわけで、久しぶりに京都に足を向ける予定です。
長月





Copyright(c)2006 New Constructor's Network. All rights reserved.